パワーストーンのブレスレット

私はいつもパワーストーンを身に着けている。アクセサリータイプの物やストラップになっているものなど色々あり、私が一番好んで着けているのはブレスレットである。一番肌に近く、着脱が楽だからだ。パワーストーンにはそれぞれの石に意味があり、身に着けているとその効果を得られるというものである。最近流行っており街でよく見かけるようになった。私はいつも魔除けの効果のあるオニキスと、金運の良くなるタイガーアイを好んで着けている。毎日着けているとたまにいい事があるので、気分的なものだが「石の効果か」と嬉しくなるものである。
私がはじめて、パワーストーンを知ったのは、高校生ぐらいの頃です。当時占いなどに凝っていました。不思議なもの、神秘的なものが大好きでした。おのずと、パワーストーンなどもいろいろな占い雑誌などから、触れる機会が多かったです。しかし、私の住む町にはそういったパワーストンなどを売るお店は一件もありませんでした。私は、お金を貯めて、通信販売を利用してはじめて、パワーストンを購入したことを覚えております。
 菅首相が退陣条件の一つに掲げる特例公債法案の成立を巡り、公明党が協力姿勢に傾き始めている。

 同党の支持母体の創価学会に、同法案を巡って政局が緊迫し、衆院解散・総選挙の事態となることを避けたいとの意向が広がっていることが背景にあるとの観測が政界では出ている。

 複数の公明党・創価学会の関係者によると、創価学会では「年内の衆院選は避けるべきだ」との意見が強まり、既に公明党側に伝えている。7月26日には創価学会幹部と公明党幹部が東京都内で会談し、「衆院選回避」を前提とした今後の活動方針を確認したという。

 創価学会は今夏、地方組織の若返りも兼ねて、大幅に幹部人事を行った。自民党との選挙協力などを担う各地の「総県長」が埼玉県や千葉県などで交代しており、「すぐに選挙に対応するのは難しい」(同学会関係者)という。春の統一地方選から日が浅く、運動員に無理をさせたくないとの判断もある。

 北沢防衛相は幹部職員人事(課長級)で、沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題など停滞する在日米軍再編をてこ入れするため、関係部署の経験者を主要ポストに配置する意向を固めた。

 15日付で発令する。

 普天間移設では、沖縄県内の責任者となる沖縄防衛局長に、本省で移設問題を担当した田中聡地方協力企画課長を充てる。真部朗同局長は本省の担当である地方協力局次長に就く。

 米空母艦載機離着陸訓練(FCLP)に関し移転候補地との調整を進めるため、在米大使館の勤務経験もある中嶋浩一郎企画官を日米防衛協力課長に起用する。

 沖縄駐留米海兵隊のグアム移転については、米国との調整を担った中村吉利米軍再編調整官を田中氏の後任とし、沖縄県との交渉に当たらせる。後任の米軍再編調整官には、新防衛大綱策定に尽力した鈴木敦夫防衛政策課長を充てる。

 日本の本格ロックシンガーの代表的存在であるジョー山中(本名・山中明<やまなか・あきら>)さんが7日、肺がんのため神奈川県横須賀市内の病院で死去した。64歳。葬儀は12日午前11時、東京都品川区北品川4の7の40のキリスト品川教会グローリア・チャペル。喪主は妻の聡子(さとこ)さんと長男ひかりさん。送る会を9月2日、東京・渋谷のライブハウス「クロコダイル」で行う予定。

【原田芳雄さんや坂上二郎さん・・・今年もすでにさまざまな人が鬼籍に】

 日本人とジャマイカ人の両親の間に、横浜に生まれる。64年、混血児をテーマにした映画「自動車泥棒」でデビュー。65年に音楽活動を始め、70年、内田裕也さんの勧めで、「フラワー・トラベリン・バンド」の結成に参加しボーカルを担当。アルバム「SATORI」は、米国、カナダで発売され国際的に評価された。

 73年のバンド解散以降はソロ活動へ。77年、映画「人間の証明」に出演。主題歌も歌い、50万枚の大ヒットとなった。07年には「フラワー・トラベリン・バンド」を再始動。今年5月のライブが最後の演奏となった。


【関連記事】
【立松和平さんや池内淳子さん・・・昨年はこんな人が亡くなった】
【森繁久弥さん、山内一弘さん・・・09年はこんな人が亡くなった】
【フランク永井さん、筑紫哲也さん・・・08年はこんな人が亡くなった】
【植木等さん、ボリス・エリツィン氏・・・07年はこんな人が亡くなった】


 気象庁は7日午後4時9分、東京地方に大雨・洪水警報を発令した。

 発達した雨雲が上空に停滞しているため、7日夜のはじめ頃にかけ、都内の広い範囲で雷を伴った非常に激しい雨が降る見込み。同庁では、低い土地の浸水や河川の増水に警戒を呼びかけている。

 同4時30分現在、関東地方では、東京や群馬など5都県に大雨・洪水警報が発令されている。また同庁は、群馬・栃木両県では土砂災害への警戒が必要としている。

 米軍がベトナム戦争で枯れ葉剤作戦を開始してから今年で50年。1961年に薬剤が初めて中部高原コンツムに散布された8月10日は、ベトナムで「枯れ葉剤作戦を記憶する日」に指定されている。深刻な被害を35年以上、追い続けてきた報道写真家中村梧郎氏(70)は、写真展などを通じ、化学兵器による悲劇を繰り返さないよう世界に発信している。
 中村氏はベトナム戦争終結翌年の76年、国道1号を北から南まで走り抜け、最南端のカマウ岬のジャングルが砂漠のように枯死した光景に息をのんだ。猛毒ダイオキシンを含む薬剤の影響で、ほとんどの新生児に障害があり、「ものすごいことが起きていると気付き、取材を始めた」。
 ベトナムにはこれまで50回近く行き、取材した被害者は延べ数百人。「弱者にカメラを向けること自体が加害行為ではないか」と悩みながらもシャッターを押し続け、結合双生児のベトちゃんドクちゃんの分離手術(88年)では代表取材も担当した。現在、枯れ葉剤の写真展は米国を巡回中。ヨーロッパや各国にも広げたいという。
 戦争終結から36年を経て、ジャングルには植林で緑が戻ったが、現在も障害を持つ子どもが生まれるなど人体への被害は続いている。
 中村氏は10日、ホーチミン(旧サイゴン)の戦争証跡博物館で被害児童らによるイベントを取材。カマウ岬にも足を伸ばし、分離手術を受けたツーズー病院で働くドクさん(30)や日本から訪れたツアー客らと、復活したマングローブの森を視察する予定だ。
 中村氏は「化学兵器は絶対に使ってはならない。子どもたちが生きられない地球にしてはいけない」と訴えている。 

【関連記事】
〔終戦特集〕太平洋戦争の歴史を振り返る
【動画】太平洋戦争の激戦地、サイパンの戦跡を巡る
〔写真特集〕米海軍特殊部隊 Navy SEALs〜ビンラディン襲撃の実行部隊〜
〔写真特集〕世界の軍用ヘリコプター
ペンタゴン・ペーパーズ全文公開=ベトナム戦争の機密報告書−米